2019年3月13日水曜日

3月 全校朝礼 校長講話



平成31年3月11日

朝礼講話

 

 生徒の皆さん、おはようございます。

 きょうは3月11日、東日本大震災発生から8年目を迎えます。1、2年生は当時まだ小学校に上がっていませんでした。3年生でも小学1年生でした。したがって、記憶に薄いと思います。いずれ、東日本大震災を知らない子供たちが中学校に入学してくるでしょう。でも、この大災害があったということは、私たち日本人として絶対に忘れてはならないことだと思います。
 
 そこできょうは、当時の被災地の映像を見てもらい、津波の恐ろしさ、原子力発電所の事故の影響についてお話しします。また、災害時、大人や高校生・大学生は国分寺に帰ってこられなくなる可能性が高いです。そんな時、一番頼りになるのは中学生です。災害時の力となれるよう、意識を持ってほしいと思います。
  はじめにこの映像です。これは、宮城県の仙台市近郊の都市の海岸に近いところに位置する中学校です。写真は、震災発生5か月後の8月に撮影されたものです。校舎2階の窓ガラスも壊れていて、高い津波が押し寄せたということが分かります

 
 次に、体育館です。めちゃくちゃです。よく見ると、左後ろに松の大木が流れ込んでいます。右後ろには、紅白幕。震災発生の日は、この中学校は卒業式だったということが分かります。舞台の状況です。四中の体育館とほぼ同じ造りですね。国旗と東松島市の旗が掲揚されていますが、よく見ると旗の下半分が汚れていますね。津波がこの高さまで来たことが分かります。
 右上には真新しい校歌の歌詞が見えます。実は、この年の卒業生による卒業制作だったのです。まさか、卒業式の午後に津波が押し寄せるとは、誰も想像していなかったと思います。この日の午後、卒業証書を手に、中学時代の思い出と新たな進路への希望を胸に抱き、それぞれの家に帰ったと思います。





 
 
次は、宮城県の女川町というところの港です。

 道路に海水が押し寄せています。これは、津波ではなく、地震による地盤沈下で海水が押し寄せている場面です。この横断歩道は、かつて人間が渡っていたところですが、この写真ではわかりづらいのですが、小さな魚が泳いでいました。

 この津波によって、多くの家が流され、家財道具などもすべて失われました。それらをよく瓦礫と言われますが、この写真を見れば、瓦礫ではなく、そこに住んでいた人たちの思い出そのものだと思います。ミッキー、ドラえもん、プーさん・・・
 
 






 最後に、福島第一原子力発電所の事故の影響です。この写真は、福島県福島市にあるある小学校の校庭の様子です。福島市は、内陸にあり、原発事故が起きたところからは100キロ近く離れています。それでも、除染のため写真のように校庭の土を掘り出し、新しい土を埋め込んでいるところです。
 この原発は、おもに東京など関東地方に電力を供給していたものですが、なぜ、福島県の人たちが犠牲になり、差別を受けなければならないのでしょうか。

 
 
 
映像は以上ですが、自然災害はまた必ずやってきます。でも、それを最小限に食い止めることが私たち人間の役割です。そのためにも、この惨状を絶対に忘れることなく、後世に伝えていくことが大切です。

 きょうは、避難訓練があります。時間は震災発生の時刻に近い2時過ぎです。その時に、1分間の黙祷を行います。