2018年12月10日月曜日

12月全校朝礼 校長講話


平成30年12月10日

朝礼講話

 

 おはようございます。はじめに、私たち教師は、日頃から生徒の皆さんには暴力はいけませんということを指導しています。これは、何も生徒だけではなく大人も同じです。特に、学校の先生はなおさらです。そこで、今週、生徒の皆さんに「体罰をなくすためのアンケート」を実施します。ご協力ください。
それでは、きょうのお話ですが、暴力をなくしていくことと直接関係はありませんが、暴力をなくすには自分に自信をもつことも大切ですので、この点で関連があります。

 きょうは、この本を紹介してお話しします。 シナリオライター(脚本家) 岡田 麿里(おかだ まり)さんの著書、「学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで」という題名の本です。

 まず、岡田 麿里さん という方ですが、埼玉県の秩父市を舞台にしたアニメ作品、 「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」、「心が叫びたがっているんだ」の物語を書いた方です。この本の題名の「あの花」、「ここさけ」は、この2つの作品名を縮めた表現です。また岡田さんご自身も埼玉県秩父市出身です。私も先日、貸レコード屋さんで「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の劇場版を借りてみましたが、とても面白い作品でした。 

 この本の題名には、学校に行けなかった私が・・・とあるように、岡田さんは、小学校から高校まで学校に行くことのできない不登校の生徒でした。その岡田さんが、超有名なシナリオライターになるまでにどのような苦労や努力があったのでしょうか。

  岡田さんは、学校に行けなかったので自宅でたくさんの作品を読んでいたという背景がありましたが、きっかけは高校生の時でした。学校を休んでいる岡田さんに、国語の先生が読書感想文の課題を出しました。その時、その先生は、その本の魅力について、多くの人に興味を持ってもらえるような書き方をするようにと、アドバイスを繰り返ししたそうです。このことで、岡田さんは人に読んでもらえる文章の書き方を身に付けました。 

 そして、高校卒業後ゲームを作る専門学校に通ったのですが、そこでいろいろな出会いがあり、シナリオを書いてみないかという誘いがありました。ところが、岡田さんは、自分にまったく自信のない人でした。

 そこでどうしたかというと、自分で書いたアニメのストーリーを徹底的に批判しました。ここがダメ、ここもダメと・・・。普通ならここで終わってしまうのですが、岡田さんの素晴らしいところは、自分がダメと思うところを徹底的に洗い出し、すべてに改善を加えたのです。これってなかなかできるものではありませんよね。そして、その努力の甲斐があって、作品が大ヒットしました。  

 このように、読む相手を意識して文章を書くこと、自分のダメなところを徹底的に直していくことの2点が、この作品の題名にあるように、「学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで」に至ったのだろうと思います。この岡田さんの生き方が少しでも参考になればと思います。終わります。