モモちゃんのあいさつ運動
校長 石川 鋭一郎
※ これは学校便り9月号の記事です。私の通勤、特に退勤時、声をかけてくれる猫がいます。
「ニャーオ」と大きな声で元気よくあいさつをしてくれます。
名前ですが、私は、「モモ」ちゃんと呼んでいます。
右の写真をご覧ください。どうですか、この気品に満ちたお姿。
モモちゃんは、誰かに飼われているのか、自立して生活しているか、
定かではありませんが、私は、後者の方だと思っています。
私がモモちゃんと出会う場所は、四中の体育館北側の史跡資料館から府中街道信号手前のうどん屋さん付近です。特に、うどん屋さんの駐車場の植え込み(写真の場所)でよく出会います。
この植え込みのところで、地域の方がモモちゃんに食事を用意してくれていることもあります。
それでも、モモちゃんが自立して生活しているのであれば、自分で食べ物をみつけていかなくてはなりません。その苦労は、大変なことだと思います。
私が、モモちゃんを偉いなと思うことがあります。それは、いつも地域の方に分け隔てなく声をかけているところです。私は、一度だけモモちゃんに食べ物をあげたことがありますが、それ以外はありません。それでも、モモちゃんは私に声をかけてくれます。けして食べ物をねだるようなしぐさではなく、私という地域の通行人との触れ合いを楽しんでいるように思えます。これは決して私だけではなく、この通りを通る人たちへ声をかけてくれます。
無償の地域愛。この言葉がモモちゃんにとって一番ふさわしい言葉だと思います。何か見返りを求めるものでもなく、あいさつを通して地域の方とふれあい、相手を和ませ、自分自身もふれあいを楽しんでいます。素晴らしい猫だと思います。
恋愛という一つの言葉があります。でも、恋と愛とは違います。恋とは、投げたボールを返してほしいと思う心の段階です。愛とは、恋よりも心の段階が進化した状態で、投げたボールを返してくれなくてもいいのです。そのボールが相手に必要であれば、それだけでいいのです。大人から子供への愛情もその一例です。
モモちゃんは、分け隔てなく声をかけてくれます。暑い日も寒い日も、見返りを求めず、地域に出て声をかけ続けるモモちゃん。モモちゃんは私たちの心を和ませてくれるだけではなく、私たちが忘れかけている無償の愛というものを、その小さな後ろ姿で教えてくれているようです。
猫としては高齢の域に達していると思いますが、健康に気を付け、いつまでも地域を愛し、愛される猫であってほしいと願っています。きょうも、帰りに会えるかにゃあ・・・・